平成22年10月17日(日)午後、鳥取県米子市の米子コンベンションセンター国際会議室において、政府拉致問題対策本部、鳥取県、米子市、北朝鮮拉致問題早期解決促進鳥取県議会議員連盟、北朝鮮に拉致された日本人を救出する鳥取の会、による共催で「拉致問題の早期解決を願う国民のつどい」が開催され、約200人が参加しました。
政府共催の拉致問題広報・啓発行事の地方における開催は、今回が10回目となり、菅内閣になってからは、今年第2回目の行事となります。
この「拉致問題の早期解決を願う国民のつどい」では、
○ 政府主催者代表挨拶 三谷秀史(政府拉致問題対策本部事務局長代理)
○ 地元主催者代表挨拶 平井伸治(鳥取県知事)
○ 講演(増元照明 拉致被害者家族会事務局長)
○ 〃(松本 孟 拉致被害者御家族(松本京子さんの兄))
○ 〃(李 英和 関西大学教授(北朝鮮社会経済論専攻)「救え!北朝鮮の民衆/緊急行動 ネットワーク」(RENK)代表
○ 県内特定失踪者御家族の紹介
○ 県民によるメッセージ紹介
○ 千羽鶴の御家族への贈呈
等が行われました。
以下、概要。
●三谷拉致問題対策本部事務局長代理挨拶
○ 先般、柳田大臣と東副大臣が家族会の飯塚代表、横田ご夫妻、増元事務局長、救う会全国協議会の西岡さんたちとお会いいたしました。
その際、飯塚さんや横田さんたちからは、発生から30年以上、最後の日朝会談から8年、家族がお戻りになって6年、全く動きがないということに厳しいご指摘をいただき、その心のつらさを切々と訴えていただきました。
私ども、政府としましては、改めてこの問題にしっかりと取り組んでいきたいという決意を新たにしたところでございます。
○ 9月28日には44年ぶりに朝鮮労働党代表者会が開催され、金正日総書記の三男金正恩氏に軍の大将の称号が与えられるとともに、党中央軍事委員会で金正日委員長に次ぐ副委員長の席が与えられました。また、つい先日、10月10日の党創建65周年記念日のパレードに姿を現したところは皆様ご承知のとおりです。
○ 本日のパンフレットのサブタイトルとして、「時間は、まだ動かせる」と書いていただきました。私どもの気持ちと全く一致すると思います。すなわち、拉致問題の解決は一刻の猶予も許されない状況である。すべての拉致被害者を一日でも早く取り戻すべく、拉致問題対策本部を中心に政府は一丸となって全力で取り組んでいきたいと考えております。
●李英和関西大学教授の講演の概要
○ 8年間、一人の拉致被害者も日本の土を踏んでない。その間何の進展もなかったのは、北朝鮮の中が2002年以降、特に2004年以降、北朝鮮の権力の中枢、もっとはっきり言えば金正日ファミリーの中でのごたごた内紛があって、そのお家騒動と権力闘争の内向きの中での争いが激しくなったから、もう日本との交渉とか拉致問題の交渉とか、核問題も含めてそうですけれども、手が回らなかったためである。
○ 北朝鮮のお家騒動は、去年の11月頃にほぼ決着がついた。
結局だれが勝ったのかというと、金正日総書記の実の妹の旦那、義理の弟になります張成沢ががっちりと北朝鮮の実権を握っている。
○ お家騒動、一たん収まっていますけれども、本番はこれからということになる。そのお家騒動の行方が、拉致問題、そして核問題の行方を左右するということになる。恐らく、張成沢やあるいは中国政府の指導部の覚えめでたい長男の金正男が何らかの形で、影で仕切るという役割を果たそうとする。金正男、おじさん、おばさん、この3人で北朝鮮を改革開放へ持っていこうというトロイカ体制が固まれば、恐らく拉致問題にとって、去年の11月にあった動きがもっと力強く現れてくるであろう。
(平井鳥取県知事挨拶)
○ ここ米子、あるいは鳥取県でもこうした拉致被害者と考えられる事件が起こりました。考えてみますと、今週、また10月21日という日が巡ってまいります。昭和52年、今から33年も前のことになりますけれども、10月21日に忽然と姿を消された松本京子さん、当時は29歳という若さの真っ盛りでありました。今、生きておられるという状況を願いたいですが60歳を超えている、還暦を超えたという、そういうご年齢にまでのぼっておられるはずであります。そういう事件が発生をしましたけれども、いまだに何も解決の糸口がつかめていないというのは、慚愧にたえないことであると思います。
○ このほかにも矢倉富康さん、古都瑞子さん、上田英司さんという、県の関係者で行方のわからない方々もいらっしゃいます。ぜひとも、政府を挙げて全力で国として解決をしていただきたい。
○ 先週は海を越えて白鳥が米子の水鳥公園に帰ってきました。しかし、まだ松本京子さんは帰ってこないんです。是非、帰って来られる日を、一日も早く、白鳥のように帰って来られる日をつくろうではありませんか。
皆様のご協力をお願い申し上げまして、私のほうからのあいさつとメッセージにさせていただきます。どうもありがとうございました。
(松本孟氏挨拶抜粋)
○ 私ども、本当に普段は穏やかに生活をしているわけじゃないんです。腹の中は煮えくり返っているんです。でも、それを言ったとしてもどうにもなることでもございません。でも、そんな中でも、「松本さん、テレビを見ていますよ、私ども何もできませんけれども頑張ってください」こう暖かいお言葉を頂戴いたします。私ども、それは本当に救いでございます。
○ 私の母も87歳、痴呆症にかかりまして、妹の名前を言うのが、昨今やっとでございます。私も、妹が好きだったと言われている、沢庵漬けを何としてでも漬けては欲しかったんですけれども、今、そういう状況にはございません。何としてでも1日も早くこの地に、日本に連れて帰って、一目、せめて家族で暖かい生活をしたいと思っております。
(増元事務局長挨拶抜粋)
○ 今日は父の命日です。8年前に10月17日亡くなりました。その父が言っていた言葉、日本を信じろ、本当に今、日本を信じることができるのかどうか、それが問われているのではないでしょうか。
○ 国民の皆さん、一人一人にもこの父の言葉をもう一度かみしめていただきたい。日本を信じて、この日本をどうするかということを、皆さんお一人お一人が考えていただきたい。それが、拉致被害者の多くの人生の報いることになると私は考えます。三十数年の彼女たちの犠牲、彼女たちの苦労を何らかの形で晴らすことができる大きな大きな流れを造っていただきたいと思っています。ご協力をお願いします。
なお、開会に先立ち、アニメ「めぐみ」が上映されました。