政府の姿勢・取組

北朝鮮より説明のあった個別情報

松木薫さん

  • 朝鮮名:リム・チョンス、男 1953年6月13日生
  • 本籍:鹿児島県出水郡東町
  • 住所:熊本県
  • 前職:京都外国語大学学生
  • 入国経緯:1980年頃語学修得および論文執筆のため、スペイン滞在中、石岡亨さんとともに、特殊機関工作員と接触する過程で共和国訪問の勧めに直ちに応じ、特殊機関が日本語教育に引き入れる目的で、1980年6月7日、共和国に連れてこられた。
  • 入国後の生活:特殊機関の人々が、朝鮮に残って勉強をしながら日本語を教えてくれないかと依頼したところ、承諾したことから、特殊機関内の学校で学生に日本語を教える仕事を誠実に行っていた。独身を通していたが、楽天的な性格ではなく、すべてにおいて慎重で思索的な人間で、受け持った仕事および生活両面においてそつがなかった。これらの正確な描写は、彼から日本語を教わった学生の回想に基づくもの。
  • 死亡経緯:1996年8月23日、リャンガン(両江)道の革命史蹟への参観に行く途中、ハムギョンナムド(咸鏡南道)コウォン(高原)郡と北西郡の境界にあるトチョル嶺という峠道を自動車乗車中、運転手の不注意による事故で2人とも死亡した。事故調書はあるが、法的仕組みが整った時点で関連情報・書類について引き渡すことができる。
  • 遺骨:ハムギョンナムド(咸鏡南道)プクチョン(北青)郡にあった遺骸安置所は洪水被害で流されたが、最近の調査委員会による調査で遺骸が発見され、100%の保証はないが、再火葬され、2002年8月30日に平壌市ランナン(楽浪)区域オボンサン共同墓地に安置された。遺骸の移動の年代、火葬状況から測定して当人の遺骨に近いと判断したもの。(注)
  • 遺品:写真が遺っている。
  • よど号犯との関連については解明されていない。

(注)松木薫さんのものと思われるとして提供を受けた「遺骨」については、法医学的鑑定の結果、別人のものであることが確認された。

石岡亨さん

  • 朝鮮名:リ・シオ 男 1957年6月29日生
  • 本籍:札幌市豊平区
  • 住所:札幌市豊平区
  • 前職:日本大学学生
  • 入国経緯:1980年に留学および観光目的で欧州に出国し、スペインのマドリッドで松木薫さんと共に、特殊機関工作員の一人との接触過程で共和国訪問を勧められて同意し、特殊機関工作員が日本語教育に引き入れる目的で1980年6月7日平壌に連れてきた。
  • 入国後の生活:いろいろ参観しているうちに、一度こんな社会で生きてみたいという意向を示したため、共和国で暮らしつつ勉強し、学生に日本語を教えてほしいという特殊機関の提起に応じた。特殊機関の招待所で自分の勉強をすると共に、機関の運営する学校で日本語教育の仕事を一生懸命行った。
    1985年12月27日一緒の仕事についていた有本恵子さんと結婚。翌年子供が産まれると、家庭に愛着を持ち、妻と子供を非常に愛した。特別待遇と保護を受ける中で生活していたが、時間が経つにつれ、故郷、父母、親族をなつかしく想うようになり、1988年夏には平壌市の店でショッピングをしている際にポーランド人を通じて手紙を送っている。手紙投函の事実は本人が案内人に話したものである。
  • 死亡の経緯:1988年11月4日の夜、チャガン(慈江)道ヒチョン(熙川)市内の招待所にて寝ている途中、暖房用の石炭ガス中毒で子供を含む家族全員が死亡。
  • 遺骨:家族と共にヒチョン(熙川)市ピョンウォン(平院)洞に葬られたが、1995年8月17日から18日の大洪水による土砂崩れで流出。現在引き続き探しているものの発見に至っていない。
  • 遺品:写真が遺っている。

曽我ひとみさん

  • 朝鮮名:ミン・ヘギョン 女 1959年5月17日生
  • 本籍:新潟県佐渡郡
  • 出生地:新潟県佐渡郡
  • 住所:新潟県佐渡郡
  • 現住所:平壌市スンホ(勝湖)区域リプソクリ(立石里)
  • 前職:佐渡総合病院看護婦
  • 現職:被扶養生活
  • 入国経緯:1978年8月12日、特殊機関工作員が身分隠しおよび語学教育の目的で現地請負業者(日本人)に依頼し、引渡しを受けて連れてきた。
  • 入国後:約2年間特殊機関の招待所において、語学の学習、参観を通じ、実情に慣れてきた。
    1980年8月8日、入北した元米軍兵士と結婚し、国家から生活条件を保障されて暮らしている。
  • 家族関係:夫:チャールズ・ロバート・ジェンキンス(Charles Robert Jenkins)。1940年2月18日生で現在62歳。南朝鮮侵略軍第一騎兵師団8連隊1大隊C中隊の分隊長中士として勤務中に1965年1月5日入北。チャールズは、曽我ひとみさんと結婚し、2人の娘をもうけた。
    長女:美花、平壌外国語大学学生、1983年6月1日生、19歳、
    次女:ブリンダ、平壌外国語大学で勉強している。1985年7月23日生、17歳。
  • 母・ミヨシさんについては承知していない。特殊機関工作員が現地請負業者から引き渡しを受けたのは曽我ひとみさん一人だけ。

有本恵子さん

  • 朝鮮名:キム・ヒョンスク 女 1960年1月12日生
  • 本籍:神戸市兵庫区
  • 住所:神戸市長田区
  • 前職:神戸外国語大学学生
  • 入国の経緯:1982年留学のため英国に出国。特殊機関メンバーの一人が接触、工作の過程で共和国に行ってみないかと言うと、一度行ってみたいと言ったことから、特殊機関が日本語教育に引き入れる目的で1983年7月15日平壌へ連れて行った。
  • 入国後の生活:資本主義社会とは異なる制度の中で暮らしてみたいと言ったため、特殊機関は、彼女の意向に従い、入国後1年後から、石岡亨さんとともに特殊機関の学校で日本語を教えさせた。
    1985年12月27日、一緒に仕事をしていた石岡亨さんと本人の自由意思で結婚し、翌年娘を生んだ。娘の名はリ・ヨンファ。招待所で幸せな家庭生活を送っていた。
  • 死亡経緯:1988年11月4日の夜、チャガン(慈江)道ヒチョン(熙川)市内の招待所にて寝ている途中、暖房用の石炭ガス中毒で子どもを含む家族全員が死亡。
  • 遺骨:家族と共にヒチョン(熙川)市ピョンウォン(平院)洞に葬られたが、1995年8月17日から18日の大洪水による土砂崩れで流出。現在引き続き探しているものの発見に至っていない。
  • 遺品:写真が遺っている。

横田めぐみさん

  • 朝鮮名:リュ・ミョンスク 1964年10月5日生、当時13歳
  • 本籍:東京都品川区
  • 住所:新潟県新潟市 当時中学生
  • 入国経緯:1977年11月15日、新潟市内で工作員が学校から帰宅途中の本人に会った。工作員は身辺の露出の危険性を感じ、露出を防ぐために同女を拉致した。特殊機関は、所属に関係なく軍事化されており、命令を実行した者は責任を問わないことになっているが、本件の実行犯は命令なく恣意的に行動した者であり、職務停止処分を受けている。
  • 入国後の生活:1977年11月から1986年7月まで、招待所で朝鮮語、現実研究および現実体験をした。1986年8月13日結婚。
  • 死亡の経緯:1993年3月13日、平壌市スンホ(勝湖)区域49予防院で精神病で死亡。
  • 遺骸:墓のあったところは病院を通じて探している。
  • 遺品:愛用のバドミントンのラケットと写真
  • 家族:夫:キム・チョルジュ 41歳 会社員
    娘:キム・ヘギョン 1987年9月13日生、 中学生
    住所:万景台区域タンサン(堂上)洞
  • 1988年頃から1991年にかけて金日成政治軍事大学において目撃証言があるとの話は事実無根であって虚偽の情報である。
  • 18歳頃から精神的に不安定であったということについても根拠はない。結婚後、娘を産むまで精神的な所見はなかった。
    (なお、入国直後、招待所で曽我ひとみさんと一緒に生活していた事実がある。)

(注)夫については、「政府関係者とは会う必要はないと思うが、両親が来た際には会えると思う」旨発言している旨代表団に説明があり、30日夕刻、同人からの書簡が代表団に手交された。

田口八重子さん

(注)なお、李恩恵事件につき、北朝鮮側は、調査の結果、李恩恵なる日本人女性はいない旨発言。

  • 朝鮮名:コ・ヘオク 女 1955年8月10日生 当時23~24歳
  • 本籍:埼玉県川口市
  • 出生地:埼玉県
  • 住所:東京都豊島区
  • 日本在住時の職業:飲食店勤務
  • 入国経緯:工作員が身分盗用に利用する対象者を物色中、1978年6月29日宮崎県宮崎市青島海岸で本人が共和国に3日程度なら観光がてら行きたいという意向を示したことから、特殊工作員が身分を偽装するのに利用するため連れてきた。辛光洙は関係がない。
  • 入国後:1978年6月から1984年10月まで招待所で朝鮮語の習得、現実研究および現実体験をした。1984年10月19日、原敕晁さんと結婚。1986年まで家庭生活。
  • 死亡経緯:夫の死亡(1986年7月19日)後、精神的衝撃を受けていたが、数日して安定して帰宅する途中、1986年7月30日、ファンヘ(黄海)北道リンサン(麟山)郡のマシク嶺峠で乗用車とトラックの衝突事故で死亡。この事故で、同人及び運転手を含む3名が乗用車で死亡、トラックの2人は重傷を負った。
  • 遺骸:ファンヘ(黄海)北道リンサン(麟山)郡に墓があったが、1995年7月の豪雨でサンウォルリ(上月里)の貯水池ダムの堤防が壊れ、墓が流された。
  • 遺品:なし
  • 原敕晁さんと結婚するも、子供なし。原さんもリンサン(麟山)郡で病気で死亡。
  • 事故での死亡者と生存者に関する書類が存在するが、今後、法的仕組みが出来た時点で証言と文書を提供することができる。

原敕晁さん

  • 朝鮮名:パク・チョルス 男 1936年8月2日生、当時43歳
  • 本籍:島根県松江市
  • 出生地:宮崎県宮崎市
  • 住所:大阪市東成区
  • 前職:大阪市の中華料理店の調理師
  • 入国経緯:金儲けと病気治療(歯科治療)のため、海外行きを希望していたところ、工作員が本人の戸籍謄本を受け取る見返りとして日本円100万円と共和国への入国を密約した。これにより1980年6月17日、宮崎県宮崎市青島海岸から連れてきた。
  • 入国後の生活:1980年6月から1984年10月まで招待所で朝鮮語、現実研究、現実体験をしていた。
    1984年10月19日田口八重子さんと結婚
  • 死亡経緯:1986年7月19日ファンヘ(黄海)北道リンサン(麟山)郡で肝硬変で死亡。
  • :田口八重子さんと同じところにあったが、95年7月の豪雨によりダムが決壊し流される。
  • 遺品:なし
  • 子供:なし
  • 辛光洙の関与等については今後法的仕組みができたら提供する。

地村保志さん

  • 朝鮮名:オ・ソンサム 男 1955年6月4日生
  • 本籍地:福井県
  • 住所:同上
  • 前職:大工見習い
  • 現職:社会科学院民俗研究所資料室翻訳員
  • 入国経緯:1978年7月7日、福井県小浜市で、特殊工作員が語学養成のため拉致してきた。
  • 生活の状況:1979年11月25日、浜本富貴恵さんと結婚。詳細はプライバシーに関わるので、本人に確認してほしい。

※ 別途面会記録は御家族に手交。

浜本富貴恵さん

  • 朝鮮名:リ・ヨンオク 1955年6月8日生
  • 本籍地:福井県小浜市
  • 住所:同上
  • 前職:被服店店員
  • 現職:被扶養生活
  • 入国経緯:地村保志さんに同じ
  • 生活状況:1979年11月25日、地村保志さんと結婚。詳細はプライバシーに関するため、本人に確認してほしい。
  • 家族関係:娘1名、息子2名がいる
    長女 オ・ギョンエ  キム・ヒョンジク師範大学学生
    長男 オ・ギョンソク 平壌機械大学学生
    次男 オ・ギョンホ  ランナン(楽浪)中学生
  • 平壌市ランナン(楽浪)区域に居住

※別途面会記録は御家族に手交。

蓮池 薫さん

  • 朝鮮名:パク・スンチョル 男 1957年9月29日生
  • 本籍地:新潟県柏崎市
  • 住所:同上
  • 前職:中央大学3年生
  • 現職:社会科学院民俗研究所資料室翻訳員
  • 入国経緯:1978年7月31日、柏崎市で特殊機関工作員が語学養成のため拉致
  • 生活状況:1980年5月15日、奥土祐木子さんと結婚。プライバシーに関するので詳細は本人に確認してほしい。

※別途面会記録は御家族に手交。

奥土祐木子さん

  • 朝鮮名:キム・グムシル 女 1956年4月15日生
  • 本籍地:新潟県柏崎市
  • 住所:同上
  • 前職:カネボウ化粧品会社社員
  • 現職:被扶養生活
  • 入国経緯:蓮池薫さんと同じ
  • 長男:パク・ギヒョク 電子計算機単科大学学生
  • 平壌市ランナン(楽浪)区域に居住。他の詳細はプライバシーに関するので、本人に確認してほしい。

※別途面会記録は御家族に手交。

市川修一さん

  • 朝鮮名:キム・ヨンチョル 男 1954年10月27日生
  • 本籍地:鹿児島県
  • 住所:鹿児島県鹿児島市
  • 前職:電信電話公社職員
  • 入国経緯:1978年8月12日鹿児島県吹上キャンプ場で語学養成のため特殊機関工作員が拉致
  • 入国後の生活:1978年8月~1979年9月 招待所にて朝鮮語、現実研究、現実体験
    1979年4月20日 増元るみ子さんと結婚
    1979年9月4日 ウォンサン(元山)海水浴場で溺死(心臓麻痺)
  • :ファンヘ(黄海)北道リンサン(麟山)郡上月里にあったが、1995年7月の貯水ダム崩壊により流失
  • 遺品:なし
  • 1994年金日成総合大学、金正日政治軍事大学で目撃されているとの日本側主張は事実無根。

増元るみ子さん

  • 朝鮮名:ホ・ジョンシル 女 1953年11月1日生
  • 本籍地:鹿児島県鹿児島市
  • 住所:鹿児島県鹿児島市
  • 前職:事務員
  • 入国の経緯:1978年8月12日、鹿児島県吹上浜キャンプ場で特殊機関工作員が語学養成のため拉致。
  • 入国後の生活:1978年8月~1981年8月まで招待所で朝鮮語、現実研究、現実体験。
    1979年4月20日 市川修一さんと結婚
    1981年8月17日 心臓病によりファンヘ(黄海)北道リンサン(麟山)郡にて死亡
    結婚前は、市川修一さんと異なる招待所で生活していた。市川修一さんの死亡後は、結婚してから住んでいた招待所にそのまま住んでいた。
  • :夫(市川さん)と同じリンサン(麟山)郡サンウォル(上月)里にあったが、1995年7月の貯水ダム崩壊により流失
  • 遺品:なし
  • 子供:なし